15万円で買った中古のライカで道端に落ちているゴミを撮ってネットにUPしていたら、その写真が美術館に展示されて、その経緯が映画化されて、最終的には僕が撮ったゴミの写真がサザビーズで1億5000万円で落札されました。やったぜ。利益149,850,000円。ゴミ拾いにはビットコイン以上の夢があります。ゴミ拾いは投資。みんなもゴミを拾いましょう。
というのはもちろん嘘なんですけど、AIが“その世界線の未来”を見せてくれて、脳が本気で信じそうになった話です。
AIが生成したのは、ただの画像じゃなくて未来の輪郭だった
最近「ChatGPTの画像生成がすごいらしい」という話を聞いて、ちょっと気になって触ってみることにしたのが今回の話のはじまり。MacでChatGPTのアプリを開いて、思考すること数秒。タイピングが一文字も進まずフリーズする指。困った。画像生成を試してみたい気持ちはあるのだけれけど、具体的にやりたいことは何にも思いつかない。
そこでChatGPTに「画像生成を使ってみたいんですけど、特に作りたい画像がないです。どうしたらいいですか?」という、生身の人間に聞いたら「知らんがな」で会話が終わってしまうレベルの質問をしてみました。そんな問いにもChatGPTは優しい。こんな提案を返してくれます。
「いいですね、画像生成はアイデアひとつで無限に楽しめる世界です。『特に作りたいものがない』ってことは、今はインスピレーション待ちの状態ですね。最近、毎朝ゴミの写真を撮っていますよね。その写真を使って、未来の可能性を視覚的に表現してみるのはどうでしょう?」
そんな感じで提案されたので、手元にあった写真を何枚か渡してみました。すると次から次へと「もしかしたら、ありえるかもしれない」と思えるほどのクオリティの画像が生成されました。
ただちょっと、AIの画像生成機能で遊んでみようと思っただけだったのに。
画像を見て、自分でも気づかないうちに「あれ、これ叶える前提で考えてない?」ってなってました。いつの間にか夢が動き出す手前に立っていたような感覚。
そして同時に、脳のどこかがその夢を実現させる方向で、静かに動き始めているのを感じました。
なんか東京の美術館で展示されてる

生成された画像の中には、僕がここ数日間で撮りためたゴミの写真がありました。場所は東京の立派な美術館。作品のように丁寧に飾られていて、照明の当たり方も、壁の質感も、その奥の窓も、めっちゃリアル。
くしゃみひとつするだけで響いてしまいそうな静寂の中、静かに作品を見つめる人たち。誰も喋ってなくて、誰も笑ってない。ただ真剣な様子で、僕が拾ったゴミを見ている。
そのとき不思議と、「これ、現実になってもおかしくないかもしれない」と思ってしまいました。もっと言うと、「もう現実のほうがそっちに引っ張られ始めてる」みたいな感覚。
「あ、これがビジュアライゼーションってやつか」と思いました。
脳が「これ、ちょっと信じとこか」って言い出す瞬間
よく言いますよね。「夢は視覚化すると叶いやすくなる」って。
たとえば、「3年以内に個展をやる」って壁に書いて貼っておくと、脳がそれを前提に行動しはじめるらしいです。「そのために何が必要なんだっけ?」とか、「誰に届けたいんだろう?」とか。
で、今回の場合は、それが紙に書いた文字ではなく、ChatGPTが生成してくれた画像でした。
妄想のはずなのに、リアルなビジュアルで“叶った後の世界”を見せられてしまうと、「あれ? ほんとにそうなるかも」って、脳が勝手に信じようとするんですね。
しかもその妄想が、“ちょっとウケ狙い”とか“ふざけたノリ”じゃなくて、妙に静かで、ちゃんと成立してそうな世界観で出てくるから、余計に脳が納得してしまう。なんなら、ちょっと準備しとくか? くらいの気持ちになってくる。
ChatGPT先生による怒涛の画像生成
そこからはもう、妄想が止まりませんでした。

まずはパリの地下。
タイトルも説明もない空間に、僕のゴミの写真だけが淡々と展示されていて、誰も喋らず、真剣な顔でそれを見つめている。空間の静けさが、写真の“意味”みたいなものを勝手に増幅してくる感じがありました。

続いて画廊。
評論家っぽいおじさんが「これは存在と不可視性の対話ですね」みたいなコメントを語ってるんだと思います。

こうなってくると当たり前のように新型iPhoneのデフォルトの壁紙になりますし、

もちろん映画化決定です。
タイトルは『THIS IS NOT JUST TRASH.(これはただのゴミじゃない)』。世界中の映画祭で賞も獲りました。

なんやかんやあって最終的にはサザビーズで100万ドル、日本円にして1億5000万円で落札されました。セブンイレブンでななチキ買ったときにもらえるウェットティッシュが道端に落ちてるのをオートフォーカスで適当に撮っただけの写真が。
作品のタイトルは「Margins of Existence(存在の周縁)」ってなっています。つけた覚えがない。
じわじわ脳が動き始める
……と、ここまでの話はもちろん全部、AIが見せてくれた“ありえるかもしれない未来”です。
でもちょっと不思議だったのが、その妄想を見たあとから、現実がすこしだけそっちに寄ってきたような気がしているのです。
「まあ、展示くらいならやろうと思えばできるだろうな」
「パリの地下展示って許可取らずに勝手にやったら結構怒られるかな」
「年内に誰かから問い合わせ来る可能性もあるかもな」
「写真1枚に100万ドルの値段がつく世界線があるなら現実の世界でもライカ代は余裕で回収できるだろうな」
という感じであれこれ考えはじめてる自分がいました。気づいたら、“ゴミしか撮らないライカプロジェクト”が世界を席巻することを、脳のどこかで“ありえる未来”として扱いはじめていたんですよね。
AIが出力したのは、ただの画像。でも、そのひとつひとつの中に、たしかに無数に分岐する“僕の未来”のどれかが映っていました。
画像生成機能で遊んでただけなのに、脳が勝手に未来の準備を始めた
今回みたいに、妄想を画像にしてみただけで、「これは叶ってもおかしくないかもな」と思えることって、意外とあるのかもしれません。
それがたとえゴミの写真でも、未来のほうから「それ、ありかもね」って言ってくれる気がする。そういう視覚化の力って、ちょっと不思議だけど、けっこう効くのかも。
というわけで、画像生成って夢の視覚化にかなり使えるな、と思った次第です。
100万ドルで落札される未来を考えたら、今回のライカ代15万円なんて、余裕で回収できそうです。利益率99.900%。ゴミ拾いは、たぶん投資。

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