もうすぐ3歳になる息子が写真に興味を持ち始めた話

先日、ふとした瞬間に息子が「写真を撮りたい!」と言い出しました。正確に言うとまだそこまで流暢に話さないので、僕が猫を撮ろうと思って起動したiPhoneのカメラアプリを見て「やる」と言いました。

  • 僕がしょっちゅうカメラを手にするから
  • 家族で撮りためた写真を「みてね」で一緒に見返しているから
  • 毎月一眼レフカメラで家族写真を撮っているから

などなど、息子は写真に対する距離感が比較的近いように思います。

何にせよ、息子が写真に興味を持ち始めたことに驚きつつ、ちょっと嬉しくなりました。


息子が撮影した写真たち

というわけでiPhoneを渡してみたところ、好奇心のおもむくままに撮り歩いていました。家の中という限られて空間で、たった数分で20枚以上を撮影。自分が初めて一眼レフカメラを買ったときの「写真楽し!」ってなった日のことを思い出しました。

で、iPhoneを返してもらってカメラロールを見たらこれがめっちゃ面白い。大人の視点では見逃しがちなものを撮ってきます。以下、息子が撮った写真と、親バカがポジティブなことしか言わない寸評です。

木材の質感がしっかりと伝わり、自然素材が持つ温もりや心地よさを感じる1枚。ありふれた日常の中からストーリー性を切り取る才能がある。
まるで現代美術のインスタレーションのような魅力を放つ1ショット。構図の巧みさが際立っており、無造作に絡むケーブルと木材の自然な質感の対比が、計算されたアート作品のように見えます。直線と曲線が織りなすダイナミズムは見る人の視線を引きつけて離さないことでしょう。左下にさりげなく写り込んでいるロボット掃除機「ブラーバ」の存在感が、この作品に面白みと現代性を加えています。一見、主役ではないかのように控えめに配置されていますが、この日常生活の中での『テクノロジーの象徴』が「稼働中なのか、それとも休息中なのか」と見る人に問いを投げかける点が興味深い。
完全に天才。抽象芸術作品のような美しさ。椅子のレザー調のファブリック生地と息子の指が偶然重なり合い、予期しない形で感覚的な深みを生み出しています。ファブリック生地のテクスチャは、無数の小さなパターンが光を受けて浮き上がり、写真全体に爬虫類の肌のような不可思議なリズムを与えています。一方、柔らかな指のぼんやりとした形状は、見る人の目を休ませる焦点として機能しています。
日常の一瞬を切り取ったリアルな「生活のアート」と言える1枚。紙製の猫の爪とぎ器から出た小さなゴミが散らばっている様子は、何気ない日常の一コマでありながらも、自然な美しさを放っています。まず、床材の美しい木目が背景として優れたキャンバスの役割を果たしています。そしてゴミが散らばるランダムなパターンが、床の規則的な木目模様と対比をなし、偶然の美を生み出しています。この「整然」と「無秩序」の対照が、写真全体に動的なバランスをもたらしています。また、先ほど別の写真に写り込んでいたブラーバとの文脈にも注意を向けたいところ。撮影者は「ロボット掃除機を持っているのになぜこんなにゴミが散らかっているのだろうか?」と問いかけをしているのでしょう。バンクシーよりすごい。

大人が撮った写真との比較

これは僕が撮った写真。息子が撮った写真と比較するとなんと単調な構図なことか。「なんか変なとこから腕生えてるように見える!」「合体して変身しそう!」とか言いながら撮ったのが透けて見えますね。息子を見習ってもっと感覚的に撮っていきたい。


これからの楽しみ

息子の写真好きがどこまで続くかはわかりませんが、今はその興味を育てていきたいと思っています。3歳の誕生日プレゼントはキッズカメラに決定。感熱ロール紙で印刷できるやつを注文しました。リアクションが楽しみ。

誕生日当日は外に出かけて、一緒に自然や街並みを撮るフォトウォークを親子3人でやろうと思っています。楽しむぞ。